大切なものは失ってから気づくというけれど。 ・・・・・大切だからこそ、失うなんて考えてもいなかったんだ。
『グレミオ!!ここをあけるんだ!!!』 叫んだ自分の声が、ひどく空虚に響く。 石造りの堅固な要塞は、その音を反響させ、やがて消して。 どうにもならないことは分かっていた、だけど。 (何で・・・っグレミオが・・・!!!) 分かっていても止められなかった。 だんだんだんっっ 壁を打つ音の数と半比例するように、自分の手の感覚とそれから・・・グレミオの声も小さくなっていく。 『坊ちゃんは、私の誇りです』 穏やかに呟かれたそれ。 そのときになって、僕はグレミオとの別れを確信した。 (聞きたくなかったのに・・・・そんな言葉は) 彼にとって僕は、そんな良い存在じゃなかったはずなんだ。それなのに、どこまでも優しい声が紡ぐのは、ただ僕へ向かう願い。 『・・・・・っどう、して・・・・・』 力任せに叩きつけていた腕がゆるゆると力をなくし、やがてだらりと落ちる。 力がこもったまま動かない自分の拳をふと見ると、赤い血がにじんでいた。 可笑しいくらいに、痛みはなかった。 ただ、毒でも受けたように痺れて。 ただ、うるさく響くそれが、耳鳴りなのか雨の音なのかの区別がつけられないでいた。 帝国を追い出されてもその気配すら見せなかった涙が、今は止まるということこそを忘れているようだった。 ::::::::::::::::::::: 「・・・この薬があれば、花の毒は防げるでしょう」 そう言ってリュウカンが僕にそれを渡したのは、あの監獄から帰ってきて3日後のことだった。 「ああ、ありがとう。・・・それじゃあマッシュ、進軍の準備を頼むよ」 僕は感謝の気持ちを込めていったが、それはうまく音にはならなかった。 起伏のない、渇いた声が機械的に発されただけで。 リュウカンもマッシュも、痛ましげな瞳で僕を見ていたけれど、僕は大丈夫だと言うことすら億劫で、逃げるようにそこから去った。 そう、あれからもう3日。 時間とは、人が笑おうが悲しもうが、誰かを殺そうが、勝手に過ぎていくものなのだと思った。 そんなのは当たり前で、改めてそう思っている自分がとても馬鹿馬鹿しかったけれど。 (きっと僕が壊れても・・・・) たとえ、この国が終わっても。 この世界は変わらずここにあって、そして時を流し続ける。 (運命ってなんだ・・・・・?) 漠然と、思う。 人の意志って何だ? 何が真実なのか、何が正義なのか、すべてどうでも良くなって混濁する。 それでも、失った事実だけは本物で。 「・・・・・・ちょっと」 「・・・・・・・・・・・・・・?」 その声で顔を上げると、いつの間に歩いてきたのか石版の近く。 いつもどおりの場所に立った、風を操る魔導師。 それなりに話はしているが、毒舌以外の返答が返ってきたためしがない―――ルック。 そういえば、彼もリュウカンを助けに行くメンバーに入っていた。 うまく記憶から情報が取り出せないが、確かビクトールやフリックのように僕を宥めるのでもなく、ただじっと。 (じっと、見てた) 壁の向こうにいるはずの男の姿を、どうにか見出そうとするように。 表情を動かすことはなく。 (冷めたみどりいろの目) 「・・・何。なんか用か?」 けだるげに尋ねてみてから、自分の言葉に思わず失笑する。 それは、目の前の少年がいつも口にする言葉。 複雑に絡まった糸を飲み込んだみたいに、腹の底に溜まりつづける不快な感情を押さえ込むと、なんだか咄嗟にはその言葉しか思い浮かばなかったのだ。 「・・・・・・・君ね、自分がひどい顔色してるって分かってる?」 呆れたように言ってくるルックは確かな力強さと正当性を持っていて。 なんとなく、いやだと思った。 「それは今はどうでもいいことだな」 すぐにでも会話を打ち切ろうと、ぶっきらぼうに言い放つ。 さっさと踵を返そうとすると、ルックはジトリと瞳を据わらせる。 「・・・待ちなよ。そんな顔でうろつかれても兵の士気が下がるだけじゃないの」 「じゃあどうしろと言うんだ」 苛々と言い返して、自分がひどく攻撃的になっていることに気づく。 普段どおりに振舞おうとすればするほど、心は悲鳴を上げて、バランスを崩す。 「泣くのか強がるのかどっちかにすれば?・・・曖昧な強さじゃ誰も従えない」 「・・・・・・・・・・・・・・!!!」 だんっっっと鈍い音が響く。 「ぐっ・・・・・・」 きつく顔を歪ませるルックを見て、僕はやっと自分のやったことを理解した。 ・・・ルックの襟首を掴み、石版に力任せに叩きつけていた。 「・・・・・っ・・に・・・・・」 不自然なくらい、急速に熱いものがこみ上げてくる。 昂ぶった感情は行き場を失い、そして・・・爆発した。 「お前に何が分かるっ?!」 一度声にしてしまうと、とめられない。 「そんな簡単じゃないんだよ人間は!!お前にっ・・・お前みたいな冷たいやつに何が分かるって言うんだ!!!」 (冷めた瞳でいつも、何を見てるって言うんだ) 「グレミオは僕の大切な家族だったんだよ!大切だったんだ!!死なせたくなんかなかった!!!」 叫んでいると、勝手に涙があふれた。 もう、尽きてしまったかと思っていたのに。 「大切な人を失うのがどれほどの悲しみか、絶望か・・・!お前に分かるはずがないんだよ!知った風な口聞くな!!」 それは純粋な怒りと、それから。憎しみ、だったように思う。 本来ならルックに向かうものではない。 自分自身への憎しみと、運命の無慈悲さへの。 「何を言ってるの。・・・知らないよ、知るわけないじゃないか・・・・」 それを聞いた瞬間に、はっと我に返った。 (・・・・・・・・っ駄目だ・・・・) ルックが、こぼれそうなほどに大きく、目を見開いたから。 乾いた、不自然なほどに感情のこもらない声。引きつったような、笑みとも呼べない動作を貼り付けて。 自分は、言ってはいけないことを言った。それが分かった。 ”大切な人を失う悲しみがお前に分かるものか!” それはなんて傲慢で残酷な。 (悲しいのは僕だけじゃないはずなのに・・・・・) それに。 「知るわけないんだよ・・・・・僕は、君じゃないんだから」 取り繕うようにそう言うルックは、なぜか泣きそうで。 これ以上は駄目だと思った。どんな心の慰みにもならず、目の前の小さな少年を傷つけるだけの言葉なら。 だけど、止まらなかった。 ―――――止めたくなかったのも、また事実。 「じゃあお前は・・・助ける気がなかったのか、あいつを? 真の紋章持ちのくせに・・・」 自分のことを棚にあげて、だけど止められなくて。 ルックは何も言わない。 だから、心にもない――いや、心のどこかで僕が思っていた醜い心の叫びが――次から次へとあふれる。 (駄目だ・・・・・これ以上は・・・) 理性を振り切り、抑制の効かない心。このまま毒を撒き散らして、そうして、 そのまま、壊れて・・・――― 「お前が・・・・・・っ」 また、次の言葉を紡ぎかけた、とき。 「―――――――――」 ふわり、と涼やかな風が僕を包んだ。 ルックの眠りの風。 そう気づいた瞬間に、急激な眠気が襲ってくる。 落ちてゆく、何も思考の必要のない。 やさしい眠りの淵へと。 (ああ・・・・・あとで、謝らなくちゃ) 混濁した意識は、それを思う。 そして・・・ルックのことを思う。 (アイツに大切なものはあるんだろうか?) なぜかあの魔術師の島で、師と二人で生きていて。 それはなぜなんだろう。 ・・・・・・親は? 彼のたいせつなひととは?家族とは? 今まで考えたこともなかった。 眠りに落ちる寸前、ルックの言葉が頭の中で反芻される。 「知らないよ・・・・知るわけないんだ・・・・」 それは、とてもかなしい言葉だった。 |
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