月日は巡る。 時間は流れる。 心は彷徨う。 迷いは揺れる。 時間は流れる。 生は尽き、また巡る。 多分、僕らはその小さな一瞬一瞬を力に、生きている。
夜というのは、実は完全な闇ではない。 そこには月の光が降り注ぎ、星は幾千、幾万と輝いている。暗い雲が中途で途切れ、空との境目をあいまいにして、酷く混沌としているものだ。 夜は、闇ではない。 ゆえに恐れるものではない。 ・・・むしろ、ここにいる人々は。 「ルック――――!!!」 だだだだだっ、と転げ落ちるのではないかと思うほどの勢いで石板のところへ走ってきたのは15、6の少年。とてもそんな風には見えないが、この同盟軍をまとめる立派な軍主である。 にこにこと楽しげなその様子に、ルックが不吉な予感を覚えたのは、これまでの彼の言動をかんがみれば無理からぬことである。 「嫌だ」 何を言わせるより先に、有無を言わせぬ強さで言い切った。 「って、僕まだ何も言ってないじゃないか!」 予想通りにわめき始めるが、 「あんたがそんな風に来るときは、いつもろくなことじゃないからだよ」 深々と息を吐いて見せるルックに、しかしヨウは軍主命令、とにこやかに告げる。 「な・・・・・・」 「だーいじょうぶ! 別に変な企みしてるわけじゃないから。だから今から、外出て!」 「って、こんな夜にかい? ―――うわ」 有無を言わさず腕を引っ張り始める。強制連行というやつだ。 その強引さにいつもの頭痛を感じつつ、ルックは説明もしないヨウに疲れたように尋ねた。 「・・・分かったよ。で、何するつもりなのさ」 自分で歩く、とヨウの手を振り払う。 そのままさっさと終わらせるつもりで早足に歩き出したのだが、 「うん。お花見しようと思って!」 「・・・・・・・・・え?」 思わず、足を止めてしまった。 「どうしたの?」 不思議そうに尋ねられ、ルックは慌ててなんでもない風を装った。 その胸中に描かれていたのは、いつかの記憶だ。 三年前―――自分にとっては、初めての"花見"。 非常に不本意ながら、こんな風に夜中に、似たような経験をしたことがあると、思い出してしまったのだった。 夜を背景に、舞う桜。 昏い湖に沈んでいった、物言わぬ骸。 「あ、ルック」 ルックが外に出てみると、いつの間にか結構な人がでてきていた。 この本拠地にはかなりの広さの庭があり、そこには様々な植物や木が植えられている。最近急に増した暖かさに導かれたのか、いくつかの花がすでに蕾を開いていた。 整った花壇から隣に目をやれば、そこには桜の木が植わっている。 枝の色は夜空に紛れ、まるで宙に花を敷き詰めたようだ。淡い桃色の花弁が、さらさらと風に揺れていた。 「・・・・・・・・・居たの」 振り向いて、軽く手を上げてきたユエの姿に、ルックは思わず眉を顰める。 出来れば彼とは会いたくなかった。 なぜなら、理由は簡単で。彼があの時共に桜を見た―――見させた、張本人だからだ。 しかしルックを目に留めたユエは、その手をひらひらと振ってルックを呼ぶ。無視してもいいのだが、それでは彼のほうが寄ってくるだけで、何の解決にもならないと知っている。はあ、と聞こえよがしにため息一つついてから、ルックはユエの隣に腰を下ろした。 ユエは黙って桜を見上げていた。 今の空よりも余程完全な闇色を瞳に宿し、しかしそれは優しく細められている。在りし日を、思うように。 それが"いつの時"のことなのか、なんてルックは分からないけれど。 「・・・綺麗だよね」 ぽつりとユエが呟いた。 「・・・・・・・・・まあね」 素っ気無くルックが返し、また沈黙が落ちる。 すぐ近くではヨウたちが騒いでいるというのに、二人の空間を切り取ったかのように、そこは静かだった。 かつての記憶と、どこかが重なる。 こんな風に言葉なく過ごす時間ならば、ルックも嫌いではないのだ。そのくらいには、彼の隣を厭う気はない。 どこか、感性が似ているからだろうか。 珍しくそのまま居座る気になってきた、その時。 「ルック! ユエさん! 楽しんでますかぁ?!」 狙い済ましたかのように、ヨウが飛びつかんばかりの勢いでやってきた。 「・・・・・・・・・」 雰囲気がぶち壊しというか、普段の彼ならばそのくらいの空気は読み取るのだが―――しかし。 「誰さ、コイツに酒飲ませたの」 剣呑に言うと、大柄な男が一瞬肩をこわばらせた。腰に喋る剣を佩いた、豪快な男。ビクトールである。 「へえぇ・・・? アンタ、こいつが酒に弱いことくらい知ってたはずだよね? それなのにどういう了見なのか、ぜひ聞かせてもらいたいね・・・」 自分の肩に張りついたまま、えへへーと笑っているヨウをとりあえず放っておいて、この苛つきの原因をひたりと見据える。 「え、いや・・・まあ、こんなときだしな? た、たまには・・・・・・」 「―――それが大人の言うことか、ビクトール?」 しどろもどろに言い訳を試みるビクトールの背後から、ぬっと現れたのは正軍師。こめかみのあたりを引き攣らせて仁王立ちで立っている姿は、多分下手なモンスターよりも手ごわいだろう。 その軍師に没収だ、と酒をひったくられたビクトールの哀れな姿を見やって、ルックはとりあえず溜飲を下ろした。 もしかしたら、懸命な軍師殿は、彼を風の魔法から守ったのかもしれないとユエは思ったが口にはしなかった。 「・・・・・・まったく。ちょっと、こんなとこで寝るんじゃないよ」 すっかり静寂の壊れてしまった空間。 舌打ちしつつも、しがみついたままのヨウをどかそうとするルックの瞳はそれほど険しくない。 「えー、ルック、ひーどーいいぃぃぃ」 「・・・っ絡むな!!」 ルックが声を張り上げるが、ヨウは動じる様子もない。 ユエはと言えば、それを面白そうに見守っていたりする。 「ちょっと、あんたも手伝いなよ」 「え? ああ」 本気で助けるということを思いつきもしていなかったようで、ユエは普段からは想像できないほど間抜けな声を出した。 「ほらほら、ヨウ。ルックが困ってるよ?」 優しく諭しつつ、向こうでナナミが呼んでるよ、などと適当なことを言って追い払う。と、ヨウは「はぁーい」などと言ってあっけないくらい簡単に離れていった。 胡散臭げにルックが見やると、 「ルックが頼んだんだよ?」 にこりと言い返してくる様。 ああ、まるであの時のようだ。ぼんやりとルックは思う。 まだ、本当の喪失を知らずにいた、あの頃の。 桜に思いを馳せた、少年の彼。 「・・・・・・・・・」 ルックは憮然としつつ、もう一度桜に目をやる。 そこで、ユエから声がかかった。穏やかな、澄んだ声。 「・・・・・・ちゃんと、巡ったでしょう?」 「!」 あのときのことを言っているのだとすぐに察した。 「季節は巡り、そしてまた花は咲く。・・・いつだって、綺麗に」 たとえ儚くても。一睡の幻のような時間でも。 それでも、確かに。 (それは決して、同じモノではありえないのかもしれないけれど) 「・・・そう、だね」 (次の世代を、新しい命を生み出せるくらいには、強い) そして続いていく。 未来は繋がって、どこまでもいく。どこまでもどこまでも、いつか見た湖の、地平線が空に融けて無限に拡がっていたように。 色とりどりの、花は。 「――――――・・・・・・」 ルックは、無言で目を細める。 その目に映るのは、確かな情愛。生きる姿そのものを、慈しむ心だ。ユエはそれを感じて、同じように桜を見上げた。 「『春宵一刻、値千金。花に清香有り。月に影有り』」 「春夜?」 古い書物に記された、有名な言葉だ。春の夜のひとときは、千金に値するほど美しい、と。さらりと口にしたユエに、ルックが反応を返す。 「うん。よく・・・父上が言ってたから覚えちゃった。その影響かもしれないけど、僕は本当に、春の夜が好きなんだよ」 過去を思うと、自然な微笑が広がる。 すべてを辛い色で覆うのではなく、こうして懐かしむことも出来る。すべては自分の心しだい、それくらいには、ユエは成長していた。 「・・・そうだね」 小さくルックが返すと、ユエが軽く驚いた風を見せる。 「嫌いなんじゃなかったっけ?」 「・・・嫌なやつ」 そう、儚いものが散っていくのを眺めるとき、自分はどうしようもない喪失感を覚えたものだ。すべてはこんなにも簡単に失われると。そしてそれを悲しむものはいないと。 だけど、それは死ではなかった。 次に、繋がるのだ。 こんな風に。次々と巡っていく、それが。それこそが、永遠であれば・・・。 「・・・ルック?」 黙り込んでしまったルックを訝しんだのか、それとも心配したのか。ユエがそっと呼びかけると、 「・・・・・・・・・綺麗だよ」 それだけを、言った。 ユエもまた嬉しそうに笑って、それだけだった。 「綺麗だね」 時は流れる。止まることなく。 月日は巡る。止まることなく。 消えることなく。 命は続く。 心は時に彷徨い、痛みに揺れる。 しかしゆるやかに世界は続いている。 |
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