41.戦争
戦場モラトリアム 「魔法兵団に、弓兵の奇襲!!!」 切羽詰った声が、高揚した空気を切り裂いてヨウの元にまで届いた。 「詳しい状況は!?」 「まだ分かりません。しかし紋章の発動によると思われる土煙があたりを取り巻いています」 伝令の向ける視線の先を追いかけて、ヨウはきつく表情を固めたままで頷いた。 「分かった。君は持ち場に戻って」 「はっ」 足早に去っていく兵が見えなくなってから、ヨウはかすかに痛みをよぎらせた。伏兵として森の向こうに潜んでいた魔法兵、その様子ははっきりと窺い知れない。まさか読まれているとは思わなかった。完全な失策だった。 風に乗って届く砂埃、そして紋章の波動だけが、ヨウに感じ取れる精一杯だった。 「ヨウ様!!」 シュウの隣で馬上の人となっているヨウの元に、息を乱して駆け寄ってきたのは、話題の主とまとめて美少年組と呼ばれる子ら。優しげな元竜騎士の少年と、勝気な少年忍者である。 そして彼らはヨウの予想通りの名を、口にした。 「ヨウ様、ルックが・・・魔法兵が襲われたって・・・っ!」 二人とも医療班に回っていたはずだが、先ほどの伝令を聞きつけたのだろう。不安げに息を切らしている。 しかしヨウは落ち着いたもので、泰然とした態度を崩さない。 「大丈夫だよ・・・ルックの波動はしっかり伝わってくるし、うまくやっていると思う。」 慣れた感覚をそのまま告げるが、それでも固い表情を貼り付けてしまっている二人――特にフッチだ――に、どうしたものかと苦笑する。 (本当は、助けに行きたいんだよね) それは誰しも同じで、皆、彼を心配している。 しかし期と分をわきまえずに無茶な行動をすることは、許されないことだ。すでにフリックの部隊を救援に向かわせたが、弓兵に突撃をかける段に至るまでに、ほとんどの矢は射尽くされるだろう。結局、魔法兵が自力で対応するしかない状態なのだ。だからこそヨウは、困ったように笑う。 その態度に焦れたのか、珍しくもフッチが声を荒げた。 「でも! 魔法兵は弓に弱いし・・・ルック、すぐ無茶するし、本当に・・・っ死んじゃったら・・・」 感情が昂ぶってきたのか、思わず涙ぐむフッチ。 そこへ馬に乗ってやってきたのは、同盟国トランで俗に英雄と呼ばれる男、ユエ・マクドールだった。 ヨウが助けを求めるようにちらりと視線をやると、ユエは心得たように頷いた。 「大丈夫だよフッチ。もう弓は止んでる」 肩を震わせるフッチを落ち着かせるように頭を撫でてやる。けれどフッチの心は三年前の記憶を持っている。ユエも当然、フッチの危惧していることが分かっては、いるのだ。 「でもルックがもし、また・・・!!」 ルックは解放戦争と呼ばれるあの戦で、一度命を落としかけたことがある。 あの時も弓による奇襲を受けたのだ。 皆を守ろうとしたルックは一人で大規模な風を呼び、しかし完全にその矢を止めることは不可能だった。次々と降り注ぐ矢の雨がルックを貫いた。 運ばれてきたルックはぐったりとしていて。止まらない血と、土気色の顔。あんなに苦痛を表に出した――取り繕う余裕もないくらいの――ルックを見たのは、後にも先にも一度きりだ。 その恐怖は、今でも覚えている。 またひとり、と。 右手よりも先に、心がざわりと闇を纏った。 ひとの死に、触れるということ。まだほんの子供だったフッチが、ブラックを失ったばかりだったフッチが、近しい位置にいた少年の危機にひどく取り乱していたことは今でも鮮明に甦る。 「ルックは全然自分の身体を構ってくれないから・・・」 今度もまた、無理をして怪我をするのではないか。そして今度こそ、世界は彼を見放すのではないか。 言いたいことはわかる。けれど、実を言えば、ユエは今のルックにそれほど危機感を抱いてはいないのだった。 見る者を安心させる穏やかな微笑を向け、頭に置いた手で、くしゃりと髪を撫でる。 「うん、昔はね、僕も不安だった。でも今の彼を見ていると、大丈夫だと思えるんだ」 決して冷酷にはなれないあの少年。だけど自身に対してはひどく無関心で。 ”もっと自分の身体を大事にしてよ?” そんな心配をまったく理解してくれなかった友人。 ”・・・・・・そんな必要、ないよ” 今のルックはやはりあの頃のルックで、だけど確かに三年分のときを経た、ルックなのだ。 「どうして、ですか?」 それでも納得いかなそうに尋ねるフッチに、ユエはにこりと悪戯っぽく笑って見せた。 「そうだね、多分・・・・・・。君たちがいるから、かな」 きょとんとする二人の少年に向かって、 「こんなにもあからさまに心配されたら、少しは自重しようって思うものでしょ」 初めに、急襲に気づいたのはルックだった。 伏兵としてハイランドの軍隊を横から叩く、その作戦は間違ってはいなかったはずで、自分もこれならばうまく行くだろうと納得していた。それが読まれていたことに、一種の悔しさと、皇王の頭脳に舌を巻く思いがする。 「風よ!!」 上空高くに風を切る音がした瞬間、ルックはその音を伝えた者たちを従えていた。ごうと低い音が鳴って、こちらめがけて飛んでくる矢の横腹に当たる。 三年前のように、真正面から受け止める愚は犯さない。勢いを完全に殺せなくとも、軌道をずらして少しでも力を削いでおけば団員たちは各々の身を守ることが出来るだろう。そのくらいの信用はある。 「風と土をうまく使って! 水を宿しているものはまず結界! 第三部隊が負傷者の手当てに回って!!」 端的な命令に、団員たちは即座に頷き詠唱を始める。 ひゅんひゅんと絶え間なく鳴り続ける音、迫り来ては五メートルほど上で叩き落されていく矢。 それはまさしく、矢の雨。 死の雨、だ。 あれを受けたらどうなるか、ルックは知っている。ひとの知りえない深遠へと引きずり込む、その感覚を身を持って。 ルックは僅かに目を細めた。 (・・・だから、どうというわけでもないけれど) 三年前、確かに死を感じた。けれど自分は今、生きている。 だからどうというわけでもないけれど。 ただ、それらが多くの命を奪うということを、拒む何かが、ある。 深く息を吸い込むと、風の結界を紡ぎだし次の瞬間には遠くに見える弓兵を切り裂きにかかった。 肉の裂ける音がルックの鼓膜に響き残る。こめかみの辺りで、とぐろを巻くように。 小さな悲鳴、むせ返るような、血の匂い。 飛んでくる矢が次第に減り始めた。 (大嫌いだ) ルックは思う。 血の匂いも、狂気に冒された人間の目も、大嫌いだ。 濁っていて、どこか尋常でないその様子は、ルックの目を神へと向けさせる。盤上の駒となるつもりはないのだ。 だけど、ルックは戦場そのものが、必ずしも嫌いというわけではない。 ・・・それはあえて言うのならば、自己の再確認とでも言うべきもの。 有機物であり、生命であるひとつの証拠。血と汗と疲労感にまみれて、ただ生き残ることに誰もが必至になる、一種異様な空間が。 (くだらない・・・感傷にもなっちゃいないけれど) いつかだろう、こんなことを考えるようになったのは。 休まず詠唱を続ける唇とは関係のないところで、思考は奥へ奥へと沈んでいく。 冷静に戦局を見据える目とは違う場所で、冷めたモノがくすんだ景色を見ている。 ”分からないよ" 自分ノ身体ヲ大切ニ? まったく現実感を伴わない、空気の振動。 ”だって、君が死んだら僕はいやだ・・・” 泣きそうな顔の意味が、分からない。 ”・・・僕は天間の星に従うだけ。君のそれは弱さだよ、ユエ・・・” 「ルック殿!!!」 副官の張り詰めた声で、びくりと我に返った。 と同時に視界に入ったものに、咄嗟に風をぶつける。が、それだけでは完全に止められず、少し方向の逸れたそれは、ルックの左腕にぐさりと突き刺さった。 「・・・・・・っ!!」 いつの間にか周りが見えなくなっていたらしい。なのに紋章だけはきちんと発動させているのだから、可笑しいことこの上ない。 腕から全身にかけて走った痛みに顔を歪め、小さく舌打ちする。 戦闘中に集中を乱してしまったことに苛立ちさえ覚え、ルックは素早く周囲を見渡した。 とほぼ同時に副官が駆け寄ってきて、 「大丈夫ですか?」 聞きながら、目は別のことを尋ねている。優秀な副官だ。いや、本来ならば副官などに甘んじているようなものではないのだが。 ルックは少しだけ愉快そうに口端を上げた。 「弓兵はほとんど返り討ちに出来たみたいだね」 「ええ。魔法兵は弓に弱い、だからこそそこを克服しておくのは必須。あなたの徹底的な仕込みが役に立ちましたね」 「・・・どこかの猿芸みたく言わないでくれる?」 「ああ、失礼。貴方の提案と自発的な訓練が、功を奏しましたね」 「・・・・・・もういいよ」 分かっていて皮肉げに言っているのだろうか、この赤い騎士は。 げんなりしつつ、ルックは息を吐く。 それより、と目で促せば、副官は心得たようににこりと笑った。 「帰還ですね」 「負傷者の手当てと本隊に伝令。あとは適当に撤退」 ぶっきらぼうな指示に、副官が動じることはない。 「では、ルック殿は先に手当てを受けてきてくださいね」 了承の意を示すと、すぐさま詳しい指示を与えるために駆けていった。 それを見届けて、ルックは一度大きく息を吐いた。先ほどのため息とは違う、疲れた息。 「・・・普通、団長に先に帰れとか言わないだろ・・・・・・」 呟きつつ、ずきずきと痛む腕を押さえ、傷口を見やる。 まだ矢は刺さったまま。しかしこの程度、大して騒ぐことでもない。これは戦争なのだから。命のやり取りなのだから。 (・・・・・・帰りたく、ないな) この痛みに、どこか安堵している自分に気づいている人がいる場所へ。きっとまた心配してくる者が、悲しそうにする者が、いるのだ。 それがどうして嫌なのか、良く分からないけれど。 「・・・風よ」 仕方ないとばかりに、なげやりな声で呪を紡いだ。 「あ、ルック!!」 本隊までテレポートし、軽く着地した時点で声がかかった。 初めに声を上げたのはヨウで、そちらを見やると、うんざりするに足りすぎるメンバーが揃っていた。 「お帰り、ルック」 急襲の事は聞いているだろうに、何事もなかったかのようなユエ。 「矢! やっぱり怪我してるじゃないか!!」 「・・・いつも俺のこと馬鹿にしといて、自分が怪我してんなよな・・・・・・っ」 先に救護班のとこに行ってよ! と大げさなくらいうろたえるフッチ。 憎らしげに言うけれど、その奥の感情が透けてしまっているサスケ。 「お疲れ様。報告は後でカミューに聞くから、ホウアン先生のとこ行ってきてね」 これから最後の仕上げに出撃するのだろう、馬上で剣を腰にさしているヨウ。 その姿を見ると、奇妙な気持ちに囚われる。 心臓の奥がむず痒いような、どこか重苦しいような、わけの分からない焦燥に襲われるような。 だけどそれは不快とは、また違うもので。 「・・・煩いな、平気だって言ってるだろ」 痛い?痛い? と自分が痛そうな顔のフッチを呆れたように見やる。 「・・・・・・痛いに決まってるだろ。ったく、僕はさっさとホウアンのところに行って、帰って、寝たいんだけど?」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・何さ」 言った途端に、ほへ、と間が抜けたような表情で動きを止めたフッチに訝しげな視線を送ると、 「へっ? ああ、ごめん! なんでもないよ」 「見え透いた嘘は逆効果だって知ってる?」 「え、あ、だって・・・」 本当は、彼が何を思ったのか、分からないではなかったけれど。認めるのはこちらが気恥ずかしい気がしたので、敢えて苛めてみた。隣のサスケが怪訝そうにこちらを見やってくる。 しかし、黙り込むかと思ったフッチは、おそるおそるといった調子で続けた。 「だって、ルックが、痛いって言ってくれたから・・・・・・」 (はあ・・・・・・) 思わずため息が漏れた。あまりにも予想通りで。 そしてユエがかすかに微笑んだ気配がしたことも、また癇に障った。 「・・・・・・何だ?」 ひとり、どうしてルックの尊大ともとれる先ほどの台詞に皆が感動しているのかサッパリ分からないサスケが首を傾げているが、無情にも答えを与えようという者はいなかった。 (だって、仕方がないじゃないか) ルックは思う。 かつての戦を、そして今の自分を、思う。 どれだけ怪我をしても、まるでそこに傷などないというように。 どれだけ傷ついても、そこに苦痛など必要ないというように。 今なら、かつての自分がどれだけ不自然で、そして異質だったかが分かる。それは確かに、欠落していたといえるのだろう。 本能的な恐怖というものが。 (戦は嫌いだよ) 今、ルックはそう思う。 狂気と戦い続ける人間たち、その、狭間で。 「ルック」 生きている自分。 「何、何か用」 「兵の使い方うまくなったよね」 「突然なに」 かつて天魁の星に選ばれた少年は、綺麗に笑う。 「三年前の君なら、限界が来るところまで兵と自分の身体をこき使ってくれたからね」 「知らないよ」 面倒くさいのは嫌いなんだ。 言うと、嘘ばっかり、と返ってきた。 こんな人たちに囲まれて、なんだか意地を張るのもばかばかしくなる。 彼らは強い。生に満ち溢れた姿は、まっすぐに強い。 だから、ひとり気を張っているのが馬鹿みたいに思えてくる。 本当にそれだけなのだ。 だから、これは変わったということではない。 この身が人に変わることだとか、宿る運命がどうにかなることなんて、あるはずがない。 これは、戦場が見せる現実の夢だ。 血生臭さが垣間見せる、一睡の幻だ。 「僕はこんなところで死んでやるつもりはないんだよ」 こんな鮮やかな夢の中で、こんな喧騒の中で、闇を求めるなど不可能だ。 目の前で笑う少年たちが、本当に嬉しそうだから。 あまりにも輝いて見えるから。 もう少しだけ、希望という名の夢を見ていたいと、願ってしまっているんだ。 (・・・・・・帰りたく、ない、な) 風に乗って、勝利を告げるヨウの声が届いた。 |
水城主催のルック祭用に書いたもの。 戦争描写、ショボくてすみませ(涙) |
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