迷いなどない。 ただ少し・・・寂しさのようなものがよぎっただけ。
星のない夜。 そこに音というものが存在するのかさえ疑いたくなるような、静寂。 トランの外れにある孤島。―――魔術師の塔の屋上に、一人立つのは18、9の女。ほんの少し肌寒い空気に身を震わせることもなくただ立ち尽くし、そしてきれいな青の瞳で空を見上げている。 まるで、何かを探しているかのように。 しかし、そこにあるのはただ暗い空。星も月もない。光はきっと、夜の色に溶けてしまった。 ゆるく、風が吹く。女の柔らかい髪が、ほんの少しだけ揺れる。 「・・・・・・・・・」 彼女は、魔力の欠片を感じて顔を上げる。 そしてそれとほぼ同時に、あたりに淡い光が広がった。 「・・・・セラ・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・レックナート様」 それは十分に予想の範疇内であった女性の形を取り。 現れた師の名を呟き、セラと呼ばれた女はそっと振り返る。 相変わらず閉ざされたままのレックナートの目元を見て、それからセラは口を開いた。 「どうされたのですか?こんなところにいては風邪を引かれます」 すると、レックナートは小さく微笑んだようだった。 「それは貴女もでしょう」 長い闇色の髪が揺れる。ついで風が消える。 この場所では珍しくも何ともない静寂。それが再びよみがえり、キィ・・・ンと耳鳴りが聞こえた気がした。 「・・・・・セラ。貴女は決心したのですね」 大方予想はついていたその言葉に、しかしセラは一瞬息を詰める。 (やはりこの方は・・・知っているのですね) 隠し通すことなど出来ないとわかっていた。かの人を牢獄から助け出すことさえできた、運命の代行者。どこか神秘的な雰囲気さえかもし出すこの女の力を、セラは尊敬こそすれ、侮ったりなどしない。 「・・・・・えぇ」 瞳はそらさぬままに答える。 なんとなく、逸らしてはいけないと思った。 逸らすつもりもなかった。 ただその閉じられた瞼の裏に、強い光を感じながら。 (・・・ルックさまは、決心された) そして自分も、思いを決めた。 いや、はじめから決まっていたのだろう。自分は彼についていく以外の選択肢など考えられないのだから。 それでも何かが心にあったとするのなら、それはかなしさ。 (あの方を、再び血の苦しみに追いやることへの) それは無力感。 (癒してあげられない、自分への) だけど。 それと同時にあったのは、幸福感? (あの方が、私を必要としてくれたことへの) ああ、なんてひどい自己満足。 「貴女をとめるのは無駄なこと・・・ですか?」 しばしの逡巡があったような空白のあと、静かに問いかけるレックナートの声はほとんど感情を読み取ることなど出来ない。それでも、何年もともに暮らした身であれば、その中に潜むものくらい意識しなくても見つけ出せる。 「レックナート様・・・・・・・」 私は、恩を仇で返してしまうひどい女ですね。 そう言いつつも、表情は浮かばない。嘲笑のような顔は、今までする必要もなかったのだから。 レックナートは返す。 「・・・あなたはあなたの信じる道を行きなさい。貴女は幸せになりなさい、セラ」 「・・・・・・・・・・・・」 「私が貴女に言えることは、それだけです・・・・」 生きて帰ってほしいなどとはいえない。運命の管理人として、秩序を保つものとして、これから生まれる破壊者を擁護するわけにはいかない。だからただ、いとしい娘にむかって幸せになって欲しいと、告げる。 (ごめんなさい・・・・・・・) セラは何も返せない。言葉は、この場ではきっと嘘にしかならない。 自分は、師も世界も裏切って、ただひとりを選ぶのだ。 後悔などしない。 迷いはない。 けれど・・・・・あの鮮やかな日々の永遠を、信じていた日々もあった。時間的な概念ではなく、ただ自分という命が終わるその瞬間まで。そんな永遠を、夢見るまでもなく、訪れるものだと信じたのは遠い遠い子どもの自分。 ただ、それだけ。 今となっては、ただ思い出すだけの記憶。 「セラは・・・・ここにいられた時間こそが、しあわせでした」 そう、きっと、何よりも。光に満ちていた。 ・・・少しだけ、あたりに風が戻る。 「・・・・ありがとう、私もですよ」 レックナートも、静かに微笑む。 何もないと思っていた空に、だけどあり続けた厚い雲が動く。 「ですが、ただひとつその時間の中で残念だと思うのは」 小さな光が、こぼれる。 「貴女と、ルックの顔を・・・この眼で見られなかったこと、くらいね」 ・・・・・・暗雲から覗いた月は、ただ輝いていた。 どれだけの時間が経っただろう。 長かったのか、短かったのか、それすらも分からぬような不思議な時間。その後、セラはゆっくりと口を開く。 「・・・・・・・、これ以上いては本当に風邪をひきます。レックナート様・・・・」 セラは、静かに瞳を閉じる。 明日の朝になれば、このことはすべてなかったことになる。それは暗黙の了解だった。 「そうですね、おやすみなさいセラ」 レックナートも特に話を続けようとはしない。 その周りにまた転移のための光がともる。 ・・・空の月がまた地平線の奥に消えれば、終わりの朝が来る。始まりのときを迎える。 変わりなく時に応じた挨拶を交わしともに過ごし、また眠りにつく日々は捨て去る。 これは離別。 だから、ふさわしいのは”さようなら”。 「・・・・・・私は出来の悪い弟子でしたね」 月光に濡れた空を見上げて、呟く。 「・・・・・・・・あの子も、ですよ」 言い残して消えたレックナートの魔力の残滓が、光となって散った。 「・・・・・・・・・・さようなら」 ただ一つを残して。 すべての世界にさようなら。 セラは祈るように瞳を閉じた。 風はただ、優しかった。 声にならないそれは、夜に溶けて消えた。 信じる道だからこそ、進むのでしょう。 私は、人形ではなく、弱い弱い人間だから。 信じた道しか、進めないのです。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||