再会 言い訳にするつもりなんかないけれど。 あの頃の自分は幼すぎて。 彼のことを理解しなかった。 ・・・・・・しようと、しなかった。
強敵、ハイランドに加担してでしゃばってきた軍隊が、ハルモニアのものだと分かるのにそう時間はかからなかった。 予想していたとはいえ、その戦力の数に、軍師はじめ同盟軍の重臣らはその対応に走り回っている。皆険しい顔つきで、どうにかこの干渉を退けようとしている。 そんな彼らを、ルックは冷ややかな視線で見据えていた。 自分には、たやすくわかったものだった。 あの感じ。間違うはずがない。忘れるはずがない。 まだ、彼の国に牙を剥くときではないと分かっている。 しかしそれでも、押さえ切れない何かが、あるのだ。 ルックは一つ息をつくと、奥で会議をしている者たちに加わっていった。物珍しげな顔をするものたちは一切気にせず、ただ、 「ハルモニアの相手は僕がする。君たちは気にせずハイランドを叩けば良いよ」 あくまで平静に、それだけを告げた。 「おい、いくらなんでもそれは・・・」 「大丈夫なのルック?」 「お前、ハルモニアと何か・・・・・・」 ある者は訝しげに、ある者は不安そうにかけてくる、声。 今のルックには、すべてが煩わしかった。 身体の奥底で、憎しみが音もなく燃えている。遙かな深遠に佇む自分は、ただ闇を見据えて怒っている。 ・・・気分が、悪い。 「――大丈夫?」 「・・・・・・」 不意に声をかけられて、それまで気づかなかったことに眉を寄せる。一つだけ、"今"のルックの状態を案じている声。振り向かなくても声の主はわかっていたが、ルックは敢えてその目を睨むようにした。 「大丈夫だって言ってるだろ・・・ユエ」 心底面倒そうに言ってやると、トランの英雄ユエは軽く肩をすくめて見せた。そしてそれ以上は何も言わない。 謎かけのようなそれは、二人の間では日常のことだった。 ルックは何も言うつもりはなかった。 しかしいつの間にか口をついていた、たった一言。 「無知は、罪だと思うかい?」 ユエが僅かに目を見開くのを視界の端に捉え、答えは待たずにそのまま跳んだ。自分の部屋へと降りた後は、作戦決行まで誰にも会おうとしなかった。 その時、かすかに燻っていた何らかの感情。胸から全身へ広がる倦怠感のような。冷たい雫が背をかけるような。 近い未来を想っての、それは。 果たして、不安か、それとも・・・・・・狂気を与えられた、歓喜か。 転移を完了して、風がさらりと頬を撫ぜて離れていく。 ルックはゆるりと瞳を開くと、怠慢な仕草で顔を上げた。その動作とは裏腹に、翡翠の瞳は恐ろしく、硬い。 冷たく底冷えするような、そんな視線。 「・・・・・・久しぶりだね」 相手が覚えているという確信もなかった。しかし、気がつけばそう口を開いていた。 すると相手は、この自分と寸分違わぬ顔を僅かに歪めて、確かな記憶を持ってこちらを見据えた。 「また君か。僕に一体何の用だ?君は一体誰なんだ?」 剣呑に細められる瞳に、ルックは怯みもしない。 ただ、彼の言葉に満足を覚えたように小さく口の端を上げた。 (気持ち悪い) 抱えきれないほどの感情が、この胸に渦巻いている。 いや、それは単なる共鳴か。 間違った肉体同士が叫び、求め合う。狂喜と殺気に満ち溢れて。 眩暈がする。 忘れもしない、たった一度の邂逅が、甦る。 僕はなに。 そんな簡単な問いがいつでも頭から離れなかった。答えなどとうに知っているのに、どこかで認められずにずっと足掻いていた。 そうして、師からその存在を聞いたとき、ルックはいてもたってもいられなくて師にも告げずにハルモニアへ侵入していた。 自分と、同じモノ。 兄に当たる"それ"は、一体どんなやつで。何を考え、何に苦しみ。 (勝手に、期待していた) 愚かにも。 (僕と同じ苦しみを、もしかしたら) それは条件反射にも似て。 そして。 (この問いに、答えてくれるのではないかと――――) 「・・・君は誰?」 思えば、兄である人物から最初にかけられた言葉もそれだった。 穏やかに微笑みながら、少しだけ首をかしげて。自身と同じ顔を見て、嫌悪を浮かべるならまだしも、彼は笑ったのだ。 それは条件反射といっても良いような、決して揺らがぬ表情だったけれど、その時のルックに気づく余裕はなかった。 ただ、その身がまとう穏やかさに、憎しみを覚えた。 「・・・・・・知らないの?」 震えそうになる声を必死で抑える。 ともすれば幼子の如く叫びわめきそうになる衝動と、この風を使って切り刻んでやりたいと思う気持ちを、どうにか。 「僕が何者で、君が何者であるのか。この国の咎を。僕らの呪いを。・・・何も、知らないと言うのか?!」 「・・・・・・咎・・・呪い?一体・・・・・・」 本気で戸惑っているらしい目の前の少年に、ルックは目の前が暗くなるのを感じた。 (それなら、どうして) これが成功作と失敗作の違いと言うのなら。 ルックの中に、暗いものがじわりと広がる。押さえようもなく、這い出してくる夕闇のように。 (どうして、僕らの違いは生まれた) 望まない命を受けてなお生きる無様な姿。ただ、あの男のエゴのせいで。 「良いよ。もう、良い。君はそうやって生きていると良いんだ。お前の事なんか・・・っ」 どうしてか視界が歪んだ。 少しずつきつくなっていく口調。 困ったように視線をさまよわせている兄。 頭の端で、もう逃げなければ、と警鐘が鳴る。もともと神官将たるための教育を受けている、もっとも厳重な警備の奥にいるササライの前に現れることが出来たこと自体、奇跡に近いのだ。異変に気づかれていなくとも、すぐに人は戻ってくると簡単に予想できた。 昂ぶった魔力をそのまま転移に変えようとした、その時。 「ねえ、君は、もしかして・・・・・・」 ふと、遠慮がちな声が届く。自分と同じなのに、明らかに違う声が。 思わず、唇を噛んで俯いていた顔を上げる。 そこで初めて、意志の力を覗かせた瞳と視線を交わした。固い笑みは崩れ、そこにはただ人間の光が宿っていた。 「もしかして君は・・・僕の・・・・・・」 ・・・ぱきり、音を聞いた。 だめだ、と、咄嗟に思った。 本能にも似て、痛烈に思った。 ここで何も言ってはいけないと。二人の関係を明らかにしてはいけないと。 それはお互いを破滅に導くものだと。 それはもしかしたら、風の干渉であったのかもしれない。真実は探りようもないけれど。 どちらにしろ、決裂の音は響いた。 ありえない感情を抱いた時点で、全ては終わっていたのだ。 (羨ましい、などと) 嫌悪すべき場所で、それでも笑っている"自分の姿"を見せ付けられることが、どうしようもなく憎らしく、狂おしく、そして・・・確かに、羨ましかった。 そんな風に笑って生きてみたかった。 それゆえの苦痛など、考えられなかった。 ただ・・・・・・絶望、した。 「違う」 気づいたら、その続きを遮るように言い切っていた。 知らずにでた低い声に、目の前の少年がびくりと肩を揺らす。 ルックは、精一杯皮肉に見えるように、口角をあげて見せた。 「――僕は、影だよ、ササライ。そして君は僕の影だ。覚えておくと良いよ・・・知らないのなら、この、呪いの言葉だけでも」 「待って!君は――――」 追ってくる声に耳を塞ぎ、それだけ言い残して風を纏った。 それだけで、ルックの身体はたやすくハルモニアの檻から逃れることが出来た。もちろん、師の干渉あってのことだったけれど。 そのまま、数年のときが流れた。二度と会うことがなければいいと思った。 ただ、自分の残した言葉から、何かを掴んで欲しいという思いはやはりあったのだろう。 (僕は君の闇、君は僕の闇だ) ・・・そして、無知とは闇を闇とさえ気づかぬことだ。 「君は一体、誰なんだ?!」 いつかと同じ問いを発したその時点で、ルックは彼を蔑まずにはいられなかった。結局何も変わっていないのだと、思い知る。 だったら自分が変わったのかというと決してそうではないけれど。 (だけどアイツは、人間のようだったから) 幼い自分から見て、ササライはヒトならぬ身でも人のように笑い、そしてそれが希望だった。憎しみを綯い交ぜにした光だったのだ。 だけど今なら、それは間違いだとわかる。 「・・・ただ、哀れだよ」 何も知らずに。 何も知ることを許されずに。 (無知とは最大の罪である、か) どこかの書物で読んだ言葉を思い出す。 その罪を犯す人々は、それが罪だとも知らないのに。 それでは、罪とは一体・・・・・・。 ルックはそれ以上、考えなかった。 それ以上は、まだ、苦しすぎた。 何もかも、思考は交錯し、そして混沌とした夕闇に還る。 「わが真なる風の紋章よ・・・・・・」 せめてもの言葉のつもりだった。 この呪文が、魔力の塊が。そのまま、存在証明になればいいと。 言い訳はしない。 自分もまた、無知だった。 それでも、ともに痛みを支えあう立場には、なれなかったのだ。 「大気と精霊の力を集め、わが"敵"を切り裂け!!!」 決別の風は、止むことなく吹き荒れ、そして唐突に、終わった。 |
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