それはまだ、自分が年に一度やってくる帝国兵の接待も任されていなかった、そんな頃。
人間のように言うならば、まだ子供で。
どうにもならないことすべてを憎むことしか出来なかった。そして憎んで有り余る感情を、冷め切った瞳で受け入れることしか出来なかった。

そんな自分が出会った、初めての・・・・・・友人。


 夢を見ない子供たち 



確か、暦の上では冬だった。
身を切るように冷たい風を感じながら、ルックが日課となっている塔の周りの散歩をしていたときだった。
「ん・・・・・・何・・・?」
急に、おかしな気配を感じて足を止める。それは明らかに紋章の気配。しかし、ルックの持つ"風"でも、師の持つ"門"でもない。
異質な。
「・・・・・・・何・・・」
圧倒的な力をその全身で感じ取り、ルックは恐怖で小さな身体を竦ませる。
(・・・・・ハルモニア・・・・?)
その単語が脳裏に浮かんだ途端、背中を冷たい汗が伝う。心臓の音がひどくうるさい。
しかし、逃げ出すことを己に戒めてぎゅっと強く右手を握り締める。
もしそうなら、戦ってやる、と力を込めて。
やがてその力は大きくなり、空間の歪(ひず)みとなった。それは良く師であるレックナートが行使する、空間転移の術。
(・・・・・負けるもんか!)
じっとその先に現れる人影を睨みつける。
光が散り―――転移者がふわりとこの地に降り立った。
「え・・・」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
(青?)
最初に感じたのはそれだった。しかしそれは、某国を思わせるようなものではなく・・・そう、どこが違うのかと問われると分からないのだが、確かに違うと感じた。
(やさしい・・・・・・あお)
そんな色をした瞳がルックの姿を捉えた瞬間、驚いたように見開かれた。
「・・・・・・お前、誰だ?」
「君こそ」
呆けたように問いかけられたものに、ルックは咄嗟にそんなことを言っていた。
すると、目の前の少年――良く見ると、ルックと大して変わらない年齢であった(ルックの実年齢は、身体のそれよりも幾分下ではあったが)――は何度か瞬きをして、それから零すように笑った。
「随分としっかりしてるんだな。悪かったよ、俺はテッドだ」
テッドと名乗った少年を、ルックは再び見上げる。
一目見た瞬間から、敵意がないのは分かっていた。ただじっとその表情を見つめて、ひとつの結論に達したあとに、答える。
「テッド・・・・・初めまして、僕は、ルックだよ」
あとで思い返すと笑えるくらいに棒読みだったそれ。
ルックが誰かに名を教えたのは、「自分のこと」を話したのは、これが初めてのことだった。


それからテッドは、少し困ったような顔で尋ねてきた。
ここは本当にレックナートの魔術師の塔か?と。
ルックがそれに肯定してやると、テッドは難しそうな顔をしてしばらく黙り込んでいた。
このときのルックには、テッドが「小さな美少年がこんな場所にいること」に果てしない疑問を抱いていたなどということは知る由もなかった。
とにかく、師の客人なのですか、とルックはたどたどしさのにじむ声で尋ね、テッドがそれに是と答えるとルックはためらうことなく星見の間に飛んでいた。
あまりその紋章を行使してはいけない、とレックナートには言われていた。もちろん、忘れてなどいない。
しかし、この少年の前では大丈夫だと思った。
なぜかと問うならば、それは曇りのない瞳のせいであったかもしれないし・・・もしかしたら、無意識に感じ取っていたのかもしれなかった。

彼もまた、真なる紋章に縛られしもの、だと・・・。



「テッド・・・・久しぶりですね」
部屋に降り立った途端に投げられた師の落ち着いた口調を聞き、ルックは顔を上げた。開かれることのないレックナートの目を見てから、ほんの少し目礼をして部屋から出て行く。ぱたぱた、と軽い足音が長い回廊に響いた。
それを見届けてから、テッドは口を開いた。
「お久しぶりです、レックナート様。まさかあなたがあんな小さな子供と暮らしているとは思いませんでした」
おどけたように言うと、レックナートは微笑したようだった。
「いろいろあったのですよ。それより、テッド・・・・・・」
「ええ。やはり、赤月帝国には水面下で反乱の意志が見え隠れしています。・・・・・行ってみようと、思っています」
テッドは、感情のない声で淡々と言葉を紡ぐ。
彼がここに来るのは、初めてではない。彼女は以前、行き倒れていた自分を助けてくれた。そしてたまに相談役として・・・いや、ただ自分の思いを、決意を聞いてくれる、唯一の人だった。
「テッド。あなたが紋章を押さえ込む力をつけるために、わざと戦場に身を置こうとしているのは分かっています。しかし・・・・・あなたの命も、大切にしてください」
その託宣めいた声音を聞き、よほどこの女のほうが哀れなのだ、とテッドは思う。
自らは何も許されないままで、ただ人の意志の力を説くのだから。願うように。
「・・・・・・それを、俺に言うのですか」
テッドは、皮肉げに口元をゆがめる。それが精一杯だった。
・・・そして、レックナートもそれ以上言葉が見つからないかのように沈黙を落とした。


そうして師とテッドという少年が星見の間に篭ってから、しばらく経った。
ルックは、ただ部屋の外で待っていた。
中の会話に耳を傾けようとするでもなく、ただ立っていた。そして、考えていた。
(アイツは・・・・・・何?)
テッド。
どこかさびしげに笑う、少年。
大人びた。
(アイツも・・・・・・・・?)
縛られているのだろうか。微かに感じたあの呪わしい気配に。
「・・・だから?」
だから、あんなふうに―――憎むことにすら疲れてしまったような、そんな笑い方をするのだろうか。
あんなに綺麗な瞳を持ったままで。

(子供のような容姿の、大人)

(子供でいることを許されなかった子供)

ルックは、言いようのない何かを感じていた。
・・・と、不意にルックのそばにあった大きな扉が開かれた。反射的に顔を上げると、現れたのはやはり予想通りの人。
「・・・よぉ、ルック」
こちらに気づいたテッドは、気さくに声をかけてくる。そして、一瞬怯えと戸惑いの色を隠せずに震えたルックに気づき、ふと表情を崩す。そして、その左手でルックの柔らかい髪を撫でる。
その行為に、なぜかひどく安堵したことを覚えている。
「なぁ・・・お前、継承者だろ」
「!!!」
意を決したように尋ねられたそれに、ルックは勢い良くテッドから身体を離す。
そうしてまたテッドと目が会うと、寂しげに揺れる大人びた青がかなしかった。
「警戒しないでくれ。俺も・・・そうだから」
「え・・・・・・・」
「だから、聞いてほしい。俺は、この紋章を継いで300年。ただ闇しか見えない。これからどうすればいいのか、全然、分からない。きっと俺は、この闇の中で死ぬだろう」
ただ、淡々と紡がれる声。
何の感情もこもらないそれは、ともすれば機械人形のようで。
(紋章の、操り人形)
そんな言葉が浮かんだ。それは自分のことだろう、とすぐに嘲笑とともにそんな考えは捨てたけれど。
テッドは続ける。切なげにルックを見つめたまま。
「だから・・・ってわけじゃないけどさ。お前は、この闇に負けないでほしい。今日会ったばっかりだけどさ・・・お前にはじめてあったとき思ったんだ。綺麗な緑だなって。・・・理由になってないけどさ。俺もレックナート様も駄目だったことを、お前はやってほしい。光を願うだけじゃなくて、お前が、光の中でいてほしい」
「・・・・・・・・・・」
ひとしきり話すと、テッドは黙った。
ルックの頭の中には、先程の言葉が幾度も反芻されていく。
(光の中を?)
僕が?
そう思うと、滑稽でならなかった。目の前の少年こそが、それを出来なくてはいけないのだろうに。
「・・・・・・僕に、言われてもね」
まっすぐな視線に耐えられないで、ルックは顔を背ける。
それきり押し黙ってしまったルックに、テッドは諦めたようにため息をついた。
「ま、覚えといてくれ。また会えたら良いな、ルック」
「・・・・・・・・そう、だね」
果てしなく曖昧な、再会の約束。というよりも、願い。
どこまでが自由にできるのかすらも分からないそれを、ただ自分たちの中に刻んだ。

(空には、祈らない)

それでは何も変わらないことを、自分たちは知っている。
不確実な、幻想の夢は見ない。
自分たちが共有するのは、たった一つの願いと、あとはモノトーンの未来だ。
ただ暗闇の中でもがくだけ。



短い邂逅の後に再び分かれた二人の子供の道筋。
今はまだ。再会のときを、神が笑うその瞬間を、彼らは知らない。





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