その日もルックは石版の前。 だけど今日は珍しく、その視線が大ホールの人ごみには向けられていなかった。 「石版見てるの?」 音もなく近づいて、ひょいっとルックの顔を覗き込む。 「!?・・・何だ君か・・・驚かせないでよ」 緑の法衣を纏う魔導師の少年、そして石版守でもあるルックは目の前に現れた人物の姿を認めると、不快そうに眉をしかめた。 「・・・何さヨウ。・・・・・・・・何か、用?」 思い切り険をこめて呟くが、ヨウは楽しげに笑うばかり。 「別にー♪なんかルックが深刻な顔して石版睨んでるからさ」 どうしたのかなと思って。 にこやかに尋ねられても、ルックは何も返さない。 返しようがない、と言ったほうが正しいのかもしれない。 ヨウが元気なのはそれはそれで良いことだが、その分何を企んでいるか分からない物騒な笑みも多くなるのは困りものだ。 (つまりは、心配してくれたのだろう) ただそれだけは分かるから。 複雑な糸で成った、鉛のように重いものを無理やり飲み下した感じで、ルックは口を開いた。 「何でもないよ・・・・・」 太陽は沈み、見張りの兵士だけが張り詰めた雰囲気で立っている、そんな時間。 物音ひとつないホールの端で、ルックは立っていた。 ルックは、ここのところ自室へ帰っていない。石版の前で一日の大半を過ごし、そして夜も寝ずの番をしている。 別に、師から預かったものを守るという使命感に燃えているわけでも何でもない。 ただ。 (・・・・・眠りたく、ないだけ・・・・・・・・) 何も見たくなくて。 何も知りたくなくて。 魂にもっとも近きモノが教えてくるすべてから目を逸らしたいがために。 ルックは毎夜、ここでじっと立ち尽くす。 そうしていると、不思議と眠気は訪れないもので。 そうして、また日が昇ったならば、何食わぬ顔で「石版守」を始める。それだけのことだ。 それだけのこと、なのに・・・・・・・・・。 (どうして、なんだろう) その次の日。 ヨウは、まだお昼ごろだというのに(いつもなら軍主としての雑務に追われて、シュウに軟禁状態にされているはずである)、パタパタと足音も軽く走ってきた。 「ルック!!また石版見てる!!!」 自分のほうに近づいてくるヨウの姿を認めて、ルックはうんざりした顔をする。 「君に何か関係あるわけ」 「ないよ。でも、君がそんなこと急にしだすから」 ぼうっと石版に刻まれた文字を追って、何かを憂いているような瞳(と思うのはヨウとユエだけらしい)で。 「・・・・・・・・・ルック?」 このまだまだコドモっぽいくせに妙に聡い少年をどうしたものかと思案していたルックは、ヨウの軽く据わった目に多少驚く。 そしてそれは、次に驚愕へと変わり――。 「ううん、いいや!それよりルック、こっち来て!!」 「はっ?!・・・・・・・・ちょっと!」 突然ヨウはルックの細い腕を取って歩き出す。それはもう、ずんずんとものすごいスピードで、はたから見たら怪しいことこの上ない。 この城に集まっている民間人のうち数人のお嬢様方は、この光景を何か楽しげな活力に変えたかもしれない。 「ちょ・・・・・・っどこに行くつもりさ!」 自分より数段強い力に引きずられて、ルックはただされるがまま。 その上ここ数日まともに睡眠や食事を取っていなかったせいで、くらくらと眩暈までする。 そんなルックの不調に気づいているのかいないのか、ヨウはひたすらに歩く。周囲の目などお構いなしである。 外に出たかと思うと、がさがさと人気の少ない木陰に入る。 それはたまにルックがやってくる場所に近いようだが、少し違う。しばらく歩くとその先には小さく開けた場所があって、意外と強い日差しも差し込んでいた。 (・・・・・・・・・・・) ルックが何かを言おうとして・・・ヨウは、急にぴたりと歩みを止める。 「・・・ぅわっ」 うまくその動きにあわせられなくて、ルックは小さく叫びを押し殺す。と同時に、その身体がよろめく。 「・・・・・・・・・っと」 分かりきっていたことのように、ヨウがそれを難なく受け止める。 「さて・・・・、と」 ヨウはなにやら楽しげな声で呟き。 「ユエさん、シーナ!!いる!!?」 「?」 誰もいないはずの場所へ呼びかける。 すると、ルックの目に信じられない光景が飛び込んでくる。 「おー、ヨウ♪今日は早いな」 「いらっしゃい」 ざざっと枝葉を揺らして、木の上から二人の少年が降りてくる。 「な・・・・・・・アンタたち、何を・・・」 (普段姿を見かけないと思ったら・・・・) まさかトランの英雄がこんなところで遊んでいるとは、あの素直すぎる奴が妙に多い同盟軍の人々は、思いもしないだろう。 しかも、彼らの会話からして、3人がここに集まるのはもはや恒例のことらしい。 ルックが呆然としていると、ヨウが掴んだ腕はそのままにくるりと向き直り、にっこりと邪気のない顔で笑った。 「お昼寝しよう!」 「は?・・・・・・わっ」 有無を言わさず草むらに引っ張り込まれ、ルックは仰向けに倒れこむ。 「・・・・・・・・・・・」 一瞬くらりと眩暈が襲い、そのあと極度の疲労感と、眠気が襲ってくる。 その隣で、ヨウたちも次々と同じ体制に寝転がる。 「あー、いい天気♪」 「そうだね」 「昼寝には最適ってね」 「・・・・・・・」 確かに、適度に伸びた草は柔らかく、強い太陽の光がうまく木の葉の間から差し込んでとても気持ちいい。 そよそよと吹く風も、優しい子守唄となる。 「・・・・まったく・・・」 どうして分かってしまうのだろう。 悩みも、疲れも、何も顔になど出さないのに。誰も気づかないのに。 ・・・どうして、こんなに・・・・・・・。 「ホント君たちって、おかしいよね」 「あ!なんだよそれ!?」 「・・・・別に」 ヨウが食って掛かってきたけれど、それを相手にするほどの気力もなくて、ルックはふわりと眠気に身を任せる。 心地よい眠り。 どれくらいぶりだろう。きっと、いい夢が見える。 そう思った。 石版に増えていく名前、活気づく建物。 そのたびに何か眩しすぎるものを見た気がしている。 希望を記し、時には誰かの墓標ともなる「石版」を管理する自分。 その意味を考えると、瞳は色をなくす。 (・・・・・・・・今、くらいは・・・) 考えなくても、いい? ここにいてもいい? 色鮮やかな夢が見たい。 暖かな日差しの下で、眠って。 そうして目が覚めたら、気は進まないけど礼でも言ってやろうか。 ・・・・・・・・それも癪だから、多分言わないけど。 深い深い眠りの底で、ひたすら明るい何かを見た。 そんな気がした。 |
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